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第26回R&Rリフォーム&リニューアル建築再生展2022

 ㈱テツアドー出版に事務局をおく建築再生展組織委員会事務局は6月15・16・17日の3日間、東京ビッグサイトで「第26回R&Rリフォーム&リニューアル建築再生展2022」を開催しました。コロナ禍などの影響で中止・オンライン化としていましたが、2年ぶりに現地での開催となりました。マンション大規模修繕工事関連企業を含め、90社・団体、パネル展示18団体が展示ブースを開設。入場登録者数は3日間で約2万人超となりました。

特別セミナー採録
『軍艦島(長崎県端島)建築群の現状と余命』
講師:野口貴文氏/東京大学教授

 長崎県の端島(通称:軍艦島)は遠くから見ると戦艦「土佐」にシルエットが似ていると言われ、夜になると建物は見えないので、本当に軍監そのものに見えます。夕刻になると夕日が西の方へ沈んでいく太陽の中にちょうど軍艦島が現れるような、そんな景観になります。
 軍艦島は2014年10月に「高島炭鉱跡」として文化財保護の「国史跡」指定を受け、翌2015年7月に「世界文化遺産」登録がなされました。
 ただ、この建築物群は資産として認められていませんが、ちゃんと保存をしていく手当てを講じていくことは認められていて、ほったらかしにしているものではありません。
 位置づけとして難しいところはあるのですが、ぜひ、この建築物群を何とか保存できるものにしていきたいという思いでいるところです。
 1916年に建てられた30号棟は最初に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で7階建てです。4階建てを最初に建てて、その後に上に3階を増築しています。日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートという扱いになっています。
 それに続いて16号棟~ 20号棟(1918 ~ 1922年)、最後に山の頂上にある3号棟(1959年)が立てられました。
 30号棟ですが、2014年6月時点でサビ汁も出てきているし、鉄筋も露出しているという状況でした。8年後の2022年4月時では、さらに屋上のスラブ、壁、梁が崩落してしまっています。地盤沈下も来たしているようです。
 内部をみても床や梁が崩落し、アトリウムのような吹き抜け空間になってしまっています。
 30号棟が崩落している原因は屋上の防水層が切れてしまったことにあります。結局、ガラスもありませんから雨水や海水30号棟が入り込んで、屋上はアスファルト防でが、それが切れてしまったために水が入り込んで、コンクリートがボロボロになってしまったのです。
 65号棟(1949年)は軍艦島の建築群の中で一番大きな建物ですが、風と共に塩分が通る道筋になっていました。一昨年、私たちが建物の入口にしていた部分が2階のバルコニー部分が崩れ落ちて、出入口は塞がれてしまいました。
 このように考えると、建物の中に入ったり、近づくことすら危険極まりない状態に今陥っています。
 70号棟(1957年) は小中学校として使われていた7階建ての建物です。2014年には最上階まで行けましたが、2019年10月の撮影時には最上階がつぶれ、さらに劣化が進行しています。最上階は体育館でした。ペシャンコになって、その荷重が6階のスラブにかかってくると思われ、いつまで持つかということが危惧され
ています。
 一番新しい3号棟も2014年と2019年の写真を見比べると、2019年は建物の向こう側が透けて見えるようになりました。
軍艦島に訪問するたびに建物から向こうの空が見えるという状況が増えてきています。
 このような建築群はあと何年持つのでしょうか?われわれ研究者は毎年上陸しています。毎年見るたびに劣化が進行しているのは間違いありません。
 鉄筋の腐食につながる要因は塩分と水です。塩分と水がどれほど柱や梁に作用するかを考えて、将来の予測を「マルコフ連鎖モデル」によって行いました。
 16号棟~ 20号棟の100年後は、鉛直荷重支持性能残存率(建物の自重、積載荷重などを支える力がどれだけ残っているか)が50%にまでどんどん低下していきます。耐震性能残存率に至っては100年後にはほとんどゼロに近い数値となりました。
 2015年9月を起点に余命年数はどのくらいあるのか計算したところ、一番古い30号棟はあと8年という余命でした。つまり、来年に余命を迎えるのです。
 建物の耐力を地震力が上回る崩壊確率に基づいて、同一性能10万棟のうちの何棟が何年後に崩壊するか計算して出した結果の平均がグラフの数値となります。
 2015年時点では、3号棟は今後177年の余命がありますが、30号棟は8年しかありません。地震が来れば今でも壊れるものです。__
 建物によってばらつきがありますが、すぐに取りかからないと建物を残存させることができない状態になっています。
 廃墟の保存という意味で、われわれは過去に原爆ドームで補修と補強を経験しています。しかし、廃墟を文化財として保存するための条件を満たせているかが重要になります。非常に難しい状況にあります。
 公益社団法人日本コンクリート工学会が長崎市から委託を受けて、いかにして補修・補強をするかについて2年間ほど研究をしました。16号棟のケースでは、いかに水の浸入を防ぐかということで、屋内に防水層を設けようと考えました。
 屋内防水と、なおかつコンクリートの欠片が落ちてくるのも阻止したいということで、柱・床にポリウレア吹付・ウレタン塗膜防水を施し、強靭に固めてしまおうということになりました。
 耐震補強では、視認性、可逆性への配慮=つまり、文化財のため補強部材が見えないように配置する、鉛直荷重支持性能と耐震性能を両方確保するため室内にブレースを配置することなどを検討しました。
 16号棟~ 20号棟はつながっています。号棟間の中庭部分に補強架構を設置し、鉛直ブレース、水平ブレースによって接合する提案をしました。こうした工事は16号棟だけで33カ月、費用が26.6億円かかりました。新しい建築物を造ったほうが早いはずということになっています。
 最後に申し上げたいのは、軍艦島建造物は歴史的、文化的な価値があり、日本の近代産業革命を支えた生活空間・住居として重要な資産であるといえます。
 研究者としてみると、寿命の終焉を迎えて自然崩壊に近い状態にあるコンクリート構造物軍は極めて希少であり、コンクリート工学の発展にとってかけがえのない存在で、恰好の教材です。
 軍艦島建造物の保存活用に向けては、余命を考慮した補修・補強の実施は必要です。そのためには財源確保が最重要課題であり、多角的な経営的視点に基づき、観光・興行・寄附などの検討が必要だといえます。

大規模修繕工事新聞151号

6月15・16・17日 東京ビッグサイト

30号棟

70号棟