
むかしばなしの中でも『かちかち山』は、とりわけ後味の苦い一編である。悪さを重ねたたぬきが老夫婦を苦しめ、その報いとして、うさぎから執拗で巧妙な仕返しを受ける。 子どもの頃は「悪いことをした者は罰を受ける」という単純な教訓として読めたが、大人になって振り返ると、この話はそれだけでは終わらない。むしろ恐ろしいのは、復讐する側の論理があまりに“正しく”見えてしまうことだ。
現代社会でも、似た構図は珍しくない。誰かの不正や失言が明るみに出ると、たちまち非難が集まり、本人の立場や生活が徹底的に追い詰められる。もちろん責任追及は必要だ。しかし、過ちを正すことと、相手を潰し切ることは別である。その境目が曖昧になったとき、私たちはいつの間にか、被害者の味方ではなく「罰を楽しむ観客」になってしまう。
『かちかち山』のうさぎは、被害を受けた老夫婦の無念を背負っている。だから読者は、その残酷さにどこかで納得してしまう。だがこの“納得”こそが寓話の核心なのではないか。人は正義を掲げると、怒りを制御しにくくなる。自分が裁く側に立った瞬間、相手の痛みは「当然の代償」に見え、想像力の外へ追いやられる。そこにあるのは、法や秩序ではなく、感情による私刑だ。
SNSの炎上、職場での吊し上げ、失敗した人への再起不能な烙印。そうした現代の風景は、『かちかち山』の延長線上にある。悪を憎む気持ちは自然だが、怒りには増幅装置がついている。ひとたび火がつけば、「そこまでしなくてもいい」という声はかき消される。かちかちと音を立てるのは、背中の薪だけではない。私たちの内側で燃え広がる、正義感に似た興奮でもある。
(ジャーナリスト 井上勝彦/絵:吉田たつちか)
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大規模修繕工事新聞 2026-7月 199号





