エレベーターおよび日本のエレベーター業界の歴史
◆エレベーターの歴史
1889年(明治22年)、ニューヨークにはじめて電動エレベーター(オーチス・エレベータ)が登場しました。翌年、日本初の電動エレベーターが輸入され、東京・浅草の凌雲閣(12階建ての塔。関東大震災で半壊し、解体された)に設置されたのが日本のエレベーターの歴史の始まりです。
その後、1960年代の前半までは、エレベーターは主として大規模ビルに使われる、いわゆる特注エレベーターでしたが、1960年代後半から普及した標準型エレベーターが量産効果を発揮し、さらに日本の高度成長と相まって、中小ビルやマンション等にも急速な伸長を示しました。
エレベーターが現在のように生活空間であるマンションに設置されるようになったのは1970年代前半で、一般の方がエレベーターを日常生活で広く利用するようになってから、約40年が経過したといえます。
◆エレベーター業界の歴史
日本には第二次世界大戦前からエレベーター業界は存在しましたが、事実上、戦後が事実上のスタートといってよいでしょう。
1964年の東京オリンピック前後の高度成長期におけるビル建設ラッシュと並行して、エレベーター設置台数も増加しました。その需要の中でも、集合住宅(マンション・公共住宅)の高層化に伴う住宅用エレベーターの需要は、商業ビル向けとは比較にならない勢いで増加していきました。
当時はまだ建物に合わせてエレベーターを設計、製作していましたが、高い需要を背景に、大量生産向けの企画型エレベーターを開発して販売の効率化を図るなど、エレベーターの最需要期を迎えました。
しかし、需要に対して供給が追いつかないため、販売価格もメーカー主導の価格体制でしたが、1970年代に東芝が新規参入し、価格競争がはじまりました。
新規参入業者は価格攻勢で市場を開拓するのが常で、エレベーター業界も例外ではありません。参入前は定価で販売できていた業界は、新規参入業者の影響で価格競争に巻き込まれ、結果としてプライスリーダーは大需要家であるゼネコンに移り、定価の30パーセント程度でしか売れない、激しい値引き競争になりました。
定価を大幅に下回る価格でエレベーターを販売すれば、販売益は大幅に下がり、場合によっては赤字の競争になるケースも増えました。
メーカーは赤字で売り続けることはできないはずですが、エレベーター業界は知恵を働かせて、新たなビジネスシステムを構築しました。
そのシステムとは、情報と補修部品を外部に出さないで、エレベーターのメンテナンス業界を独占することです。
後に独占禁止法違反として公正取引委員会から排除勧告を受けましたが、知的所有権を盾に、今でも調整資料等を出し渋る大手メーカーもあります。
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(大規模修繕工事新聞 第69号)